音大受験した時の話
秋も深まり受験シーズンですね。
私が音大を受験したのは2014年の12月でした。
早いもので、もうあれから7年も経つのですね。
あの頃はアップライトでまだグランドピアノも持っていなくて、譜読みも遅くヨチヨチ歩きでした。
ひたすらハノンと受験曲だけを毎日弾いていました。
それ以外の曲は弾いた記憶が無く、気晴らしにポップスや好きな曲を弾くなどという余裕もなかったです。
私は音大生としては実力が不十分なまま入学しましたので、授業に付いて行くのが大変でした。
ソナタを初見で弾けなかったので新曲をする時は、いつも片手の譜読みから教授に見てもらったりして、ショパコンの審査員もされているすごい先生なのに申し訳なかったです。
一番ビリの学生でしたが、音大の先生にはとても可愛がっていただきました。
今はあの頃よりも譜読みスピードも上がったので、今ならもっと充実したレッスンを受けられるのになぁ、と思います。
でも、それでもあの時、音大に行っておいてよかったなぁと思います。
「人生は何があるかわからないので、行ける時に行っておいた方がいい」
何人かの人にそう言われました。
数年後先なんて、もしかしたら病気をするかもしれないし、南海トラフ大地震が起こるかもしれないし、主人が海外転勤になるかもしれないし、義親の介護が始まるかもしれないし…。大人ほど何が起こるかわかりませんし環境なんてすぐ変わってしまいます。
もし受験を迷っている社会人の方がいらっしゃったら、環境が許すなら今すぐ行かれることをオススメします。
私は当時していたアルバイトも融通が利く職場で学業との両立が十分可能でしたし、年齢は若い程、体力もありますので何とかこなせました。
ただ、音大の受験はちょっと特殊で独学では厳しく受験を見て頂けるお教室の先生の助けがどうしても必要です。
こちらの日記でも書いたと思いますが、私は受験前にお教室の先生と、ちょっとありまして受験の数か月前に先生を変えました。
とてもレベルの高いピアニストの先生だったのですが、お説教とダメ出し発言が辛すぎて二回連続レッスン中に半泣き、または泣くということがありました。笑
それで精神的に追い詰められて一時ピアノが弾けない時がありまして、教室を変えました。
辞める時に言われたのが
「アナタには随分キツく当たったけど、それは上手くなって欲しかったから。今の実力では音大は無理。アナタは私がどれだけキツく言っても受験をやめるって言わない。だから私もどんどんキツく言ってしまった」と。
そんなの知らなかったよ。。。それならそうと
「今の実力ではちょっと厳しいよ。受験は来年か再来年に延期しませんか?」と言って下さればよかったのに…。
言葉の裏を読むのが苦手な私は、どうして先生がそんなにキツく当たられるのかが分かりませんでした。ひたすら私のレベルが低い低いと言い続ける…。
それは私に「受験をやめる」と言わせたかったそうです。
その後、すぐに新しい先生に変えてから数か月後、音大に合格しました。
その新しい先生というのは私がピアノを始めて一番最初に教えていただいていた先生です。
その先生は「けいもさんなら大丈夫だと思いますよ。今、私立の音大はそこまで難しくないですよ」
とのことで、無事受験させていただくことができました。
結局キツいピアニストの先生の本心は何だったのかよくわからないのですが、今思うと私が落ちると、もしかしたら先生の名前に傷が付くとかもあったりするのかなぁ?とか思ったりもしていています。そんなの無いかもしれない、ちょっとわからないけど。
音大の受験願書には必ず師事している先生の名前を書かないといけいない欄があるので、誰の生徒かというのが狭い業界の中では重要で、下手くそな生徒が自分の生徒だと知られるのが都合が悪かったりするのかなぁ?とか。
それとも、ただ単に先生は今の実力では入学しても私が大変な思いをするだろうと思って、先生なりの優しさからだったのかもしれません。
とても熱心に教えて頂いていたし、お互いに言葉足らずですれ違っていただけなのかも。
私には全然わからない世界なので今となっては想像でしかありませんけれど。
まぁ、ピアノに限らずどうしてもやりたい事は、一人の人にダメだと言われても引き下がらない事。捨てる神あれば拾う神あり。
セカンドオピニオンは大事ですね。